遺書として

葉桜の美しき哉、逞しさ其れを知るのは死して散るとき

葉桜

現代の日本社会を視るとき、ただひたすらな淋しさを感じる。この日本に生まれ日常生活を営む日本人があまりに無知で不甲斐なく思うからだ。戦後、敗戦国である日本は歴史上類を見ないほどの速度で経済的発展を遂げ、瞬く間に先進国として世界にその存在を知らしめた。しかし、それはその背景にアメリカという歴史的には浅いが若く野心的で、暴力的なまでの軍事力と経済力を持った戦勝国が常に隣に居たからだ。アメリカによってもたらされた平和という幻想に日本人が魅せられたまま時代が進む中、日本人は考える事を次第に放棄し幼児化しながら欲望の赴くままに享楽的に生きてきた。アメリカにとって先の戦争での脅威であった日本とドイツは戦争終結後の扱いを非常に厳重に定めた。ドイツは最高責任者であるアドルフ・ヒトラーを「史上最悪の独裁者」と呼び、現在もドイツではヒトラーを賛美する事は法的に禁止され、アメリカ国内や日本におけるマンガやアニメなどのサブカルチャーを含むメディアでは悪の象徴として扱われることが常套化している。一方、日本はGHQがたった三日で作った憲法を一方的に押し付けられ、それを日本人は未だに平和憲法などと呼び、有り難がりながらアメリカの軍事力と経済力にその身を委ねている。自衛隊違憲とした故・三島由紀夫は日本の伝統文化と美徳が喪われていく日本を憂いて民兵組織、楯の会を発足し自衛隊が立ち上がるのを待ったが、その日が来ても自衛隊は立ち上がらず、暴力的に自衛隊の市ヶ谷駐屯地に武器を持って乗り込み、拡声器も使わずに「国軍として立ち上がれ」と叫んだが、三島のこの魂の声は自衛隊員たちの醜悪な野次と軽蔑の声に掻き消され虚しく風に消え、失望した三島は自ら腹を切り命を絶った。三島由紀夫は時代に敗北した。しかし、半世紀経た今でも日本人の誰もが三島由紀夫という男がかつて存在した事を知っている。三島由紀夫は生前、1954年に公開された本多猪四郎監督の特撮映画「ゴジラ」が滑稽と酷評される中で「核兵器のメタファーとして非常に良く出来た映画だ」と礼賛したらしいが、現代の日本人は映画だけでなく本やインターネット、メディアでの言説を点で捉える事しか出来ず、点と点を繋ぐ線として歴史的分脈や文化的背景、制作者の意図や真意について考える事ができない事が心底悔やまれる。独立国家として必要不可欠な福祉としての教育の現代における役割は、基礎的な知識と社会性を育む事と共に物事を自らの頭で考える能力を育むことにあると思う。いま、日本は大きな転換期にある。三島由紀夫が日本の国樹である桜の花弁のように散り、その跡に我々が青々とした葉桜の葉として存在するなら、国粋主義民族主義に奔らず他国の歴史的文化と伝統的価値観を尊重しつつ、この葉散るまで和の精神を持って誇り高く生きるのみにある。